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  1. 学術雑誌論文
  2. その他

『無情』の表記と文体について

https://unii.repo.nii.ac.jp/records/258
https://unii.repo.nii.ac.jp/records/258
a73215c9-4577-46c8-add0-4b276d3d8976
名前 / ファイル ライセンス アクション
htn236.pdf htn236.pdf (1.6 MB)
Item type 学術雑誌論文 / Journal Article(1)
公開日 2016-09-06
タイトル
タイトル 『無情』の表記と文体について
言語 ja
タイトル
タイトル The Writing Style and Notations in Mujong (無情)
言語 en
言語
言語 jpn
資源タイプ
資源タイプ識別子 http://purl.org/coar/resource_type/c_6501
資源タイプ journal article
著者 波田野, 節子

× 波田野, 節子

ja 波田野, 節子

ja-Kana ハタノ, セツコ

Search repository
Hatano, Setsuko

× Hatano, Setsuko

en Hatano, Setsuko

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抄録
内容記述タイプ Abstract
内容記述 金栄敏は、『韓国近代小史』(一九九七)と『韓国近代小説の形成過程』(二〇〇五)で、李光洙が『無情』を最初に国漢混用文で書いてから連載直前になって純ハングル文に変えたと推論した。本稿は金栄敏のこの推論を出発点としている。第1章で、金栄敏のこの推論を詳しく検討して、当時の韓国社会に存在していた表記の二重状況について考察する。第2章では、李光洙が意識的にハングル表記を用いるようになったのは、上海亡命から帰国して短編「嘉実」を書いたときからであったという事実を、あらたに発見した資料によって示す。それでは李光洙が『無情』を国漢文で書いた原稿をハングル表記に直したのは誰なのか。本稿では、当時『毎日申報』の編集局長格だった中村健太郎ではないかと推論する。第3章では、『無情』に至るまでの李光洙の文体の変遷をたどる。李光洙は一九〇八年に初めて翻訳した「血涙」から言文一致体への道を踏み出し、一九一〇年の翻訳「幼い犠牲」では言文一致をほとんど完成させるが、表記だけは『無情』にいたるまで知識人の表記である国漢文にとどまっていた。しかし文体については鍛錬をつづけ、『無情』の表記が新聞社の判断でハングルにとつぜん変更されても問題が生じないだけの文体を確立していたのだった。
書誌情報 朝鮮学報

巻 236, p. 1-28, 発行日 2015-07
ISSN
収録物識別子タイプ ISSN
収録物識別子 0577-9766
書誌レコードID
収録物識別子タイプ NCID
収録物識別子 AN00146954
フォーマット
内容記述タイプ Other
内容記述 application/pdf
著者版フラグ
出版タイプ VoR
出版タイプResource http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85
出版者
出版者 朝鮮学会
資源タイプ
内容記述タイプ Other
内容記述 Journal Article
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Ver.1 2023-05-15 08:33:00.954085
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