@article{oai:unii.repo.nii.ac.jp:00000262, author = {具, 仁謨 and 波田野, 節子 and Ku, Inmo and Hatano, Setsuko}, journal = {朝鮮学報}, month = {Jan}, note = {application/pdf, Journal Article, 一九二九年二月、京城で数人の朝鮮文学者と音楽家たちが「文学と音楽の民衆化」を目指して、「朝鮮歌謡協会」という団体を結成した。この協会は、十四編の詩に曲をつけて「作曲部鑑賞会」を開催する一方で、十六枚のSPレコードを吹き込んだ。吹込まれたSPレコードの代表作は、金石松作詩・安基永作曲の()であった。朝鮮歌謡協会が結成された背景には、当時は朝鮮人の識字率が二〇%を下回っており、「新文学」や「洋楽」が流行音楽と競争関係にあったという事情がある。そのうえ一九二八年からは様々な多国籍音盤会社が朝鮮に進出して、新文学と洋楽はさらに厳しい環境に置かれていた。朝鮮歌謡協会の文学者たちは詩の音楽化のために定型詩という形式を選択し、詩的情緒も単純化した。だが彼等が選択したSPレコードというメディアは、そのころは朝鮮のエリート層のみが享受できるものであり、朝鮮歌謡協会の企画は結局失敗に終わることになった。しかしながら朝鮮歌謡協会の活動は、一九二〇-三〇年代朝鮮における近代「詩」の位相を示す断面であったという意味において、また一九三〇年代に金億をはじめとする少なからぬ詩人たちが流行歌の歌詞を創作してSPレコードに吹込んだ事情を理解する糸口として、看過できない重要性をもっている。}, pages = {39--79}, title = {韓国近代詩におけるメディア越境の体験 : 朝鮮歌謡協会を中心に}, volume = {218}, year = {2011}, yomi = {ハタノ, セツコ} }